「長屋とは」
専用の出入口をもつ2戸以上の住居が、界壁を境に連続して1棟となっている 建物。
集合住宅の1つです。
昭和初期 東京都中央区月島には、工場労働者が多く住んでおり多くの長屋が建ていました。
東京都中央区月島の長屋(復元)
上記の写真(長屋)の平面図です。
1帖の玄関+2帖と6帖の部屋+1帖の土間と1帖の台所
そして0.5帖のトイレ
1住戸あたりの床面積は6.25坪
現在の住まいで考えると、狭いマンルームマンションと同じくらいの面積です。
そして、当時の長屋では、台所やトイレに電気が無いのが普通。
ガスが引かれたのは昭和10年代、水道は戦後との事です。
この当時の建築をみて現在の生活を考えると、大きな変化・進化です。
建築の世界も日々変化・進化を行っています。
「日新月歩」です。
そんな情報も皆様に発信続ける。
それは、建築士・建築家、吉野聡建築設計室 吉野聡の使命として考えています。
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藤井
吉野聡建築設計室さん、お早うございます。
古きを尋ねて新しきを知る。
いいですね。
溶射屋
吉野聡建築設計室さん
おはようございます。
僕の子供の頃はこのような長屋なる建物がありました。
間取りは全く覚えていませんが、これはこれで人が快適?に住んでいたのでしょうね。
日南海岸黒潮市場店長フルサワ
吉野さん、おはようございます!^^
>建築の世界も日々変化・進化を行っています。
「日新月歩」です。
そんな情報も皆様に発信続ける。
それは、建築士・建築家、吉野聡建築設計室 吉野聡の使命として考えています。
いつもいろいろな情報をありがとうございます^^
伯爵
おはようございます
貧乏だった頃、長屋に住んでいました
それはそれで、人情があってよかったです
モルタル・マジック
こんにちは!
アパートの前身ですね。
もうこういう建物は都会ではあまり残ってないんだろうなあ。
お隣さんとの近所付き合いも今よりもっと親密だったんでしょうね。
紀州のcotton母
こんにちは
いつも有難う御座います
古きよき時代。。。
昭和の初めでしょうか
人の繋がりが素敵だったような気が致します
家族の絆も強かったような
気のせいでしょうか♪
理系G
吉野さんこんばんは!
壁一枚隔てての、共同生活。
まさしく井戸端話なんてのもいっぱいあったのでしょう。
住宅は進化し、でも人の繋がりは疎かにしない社会になるといいですね!
TWINS
こんばんは〜
故きを温ねて新しきを知る、
そんな感じですね!
発展の過程を知ることで
これからのヒントを得ることは
大いにありますよね(*^_^*)